八丈島への旅⑥ 思いがけない出会い~災害の記憶
(『八丈島への旅⑤ ~八丈島風物~』より続き)
旅先では、思いがけない出会いが多々あります。
2日目の宿に決めたホテルの場所が少々分かりづらいところにあったため、役場前で待ち合わせることにし、ホテルの方に車で迎えに来てもらうこととなりました。
やがて、「いいお父さん」といった感じのホテルのオーナーさんが運転する車が到着。ホテルはご家族で営んでいるとのことでした。僕は車に乗り込み、車は宿へと出発しました。
時間はもう8時過ぎで、あたりはすっかり闇夜に包まれていました。
車を運転しながら、オーナーさんが尋ねてきました。
―八丈富士には登ってきたんですか?
―はい、《お鉢めぐり》もしてきました。思ったよりも大冒険でしたねえ。風が強くて、火口に落っこちるんじゃないかと思いました。何度か、本気で死ぬかと思いましたよ。
僕は笑いながら言いました。オーナーさんも笑って、
―あれはかなり恐いですよね。私も30代のころまでは何回かやっていたんですが、しばらくご無沙汰してますねえ。
―これまで《お鉢めぐり》をして亡くなった方もいるんじゃないですか?
―いや、それがね、不思議といないらしいんですよ。あんなに危ない道なのにね。
―そうなんですか。……でも、すぐ近くに大冒険ができる自然がたくさんある生活っていうのも、いいですね。
―そうですね。それが魅力で、私もこの島に移り住んできたようなもんです。
聞けば、オーナーさんの出身地は、偶然にも僕と同じ埼玉県の大宮でした。大学4年生のときまで大宮に住んでいて、卒業後お父さんの仕事を継ぐために八丈島へ移り住んだとのこと。今でもお姉さん一家が大宮に住んでいるそうです。
僕も今大宮に住んでいることを伝えると、向こうも思いがけない偶然に喜び、会話に地元の話題も入って楽しいドライブとなりました。
話の内容は次第に、3月の大震災の話題になりました。
―埼玉は、3月の地震のときかなり揺れましたか?
―そうですね、かなり揺れました。僕は東京の職場にいたんですが、マンションの9階でかなりの揺れを感じましたねえ。こちらはやっぱり津波が来ましたか?
―いや、幸いあまり大きな津波は来なかったんですよ。ただ、海でダイビングをしてた人が、「ゴンっ」っていう大きな音を聞いたみたいです。そうして、本土のほうでかなり大きな地震があったっていう連絡が入ってきて、海辺にいた人たちもすぐに避難することになったんですね。
水は空気よりも音を伝えやすい媒体です。日本近海のプレートの動く音が、ここ八丈島の海底にも響き渡ったのでしょうか。
―夕方にテレビをつけたら、目を疑うような光景が映っていましてねえ。これまでこの島はどちらかというと、地震よりも火山や台風の被害を受けてきたんですが、自然の前では人間は本当に無力ですね。ありきたりな言葉になってしまいますが…。
そういえば、八丈町役場近くの大賀郷護神山に、「鳥島罹災者招魂碑」という石碑が立っていたのを思い出しました。
明治35年8月、八丈島の属島である鳥島が噴火して、125人の島民が全滅するという惨事が起こり、それを悼んで建立された招魂碑とのことです。碑に書かれている文章ははっきりと読めなかったのですが、案内板によると、書かれてある文・書は非常に優れていると評価されていて、島における悲惨な災害を記録した金石文としての価値は高いとのことです。
災害の記憶を何とか後世に語り継いでいこうとした不特定の先人の思いが感じられ、深遠な気持ちになりました。
「動かざること山の如し」という言葉がありますが、山、海、大気など、あらゆる自然はゆっくりと、しかし確実に変化し続けています。その気の遠くなるような変化の時間の中では、一人の人間の時間など取るに足らないものであるといえます。そして、その大きな自然の変化は時として、人間にとって大きな脅威をもたらしもします。
災害の記憶を伝えようとするさまざまなものは、自然の驚異を後世に伝えるとともに、自分たちにも突如として起こりうる「死」を忘れさせないための装置のようなものであると、改めて感じました。
その後、車は無事ホテルに到着。夕食は既に済ませていたため、ホテル内の温泉で体を伸ばした後、すぐに眠ることにしました。
夕方頃から雲が出てきていたため満点の星空を仰ぐことはできませんでしたが、海からの穏やかな波の音を聞きながら、眠りにつきました。
(『八丈島への旅⑦ ~帰路~』へと続く)
旅先では、思いがけない出会いが多々あります。
2日目の宿に決めたホテルの場所が少々分かりづらいところにあったため、役場前で待ち合わせることにし、ホテルの方に車で迎えに来てもらうこととなりました。
やがて、「いいお父さん」といった感じのホテルのオーナーさんが運転する車が到着。ホテルはご家族で営んでいるとのことでした。僕は車に乗り込み、車は宿へと出発しました。
車を運転しながら、オーナーさんが尋ねてきました。
―八丈富士には登ってきたんですか?
―はい、《お鉢めぐり》もしてきました。思ったよりも大冒険でしたねえ。風が強くて、火口に落っこちるんじゃないかと思いました。何度か、本気で死ぬかと思いましたよ。
僕は笑いながら言いました。オーナーさんも笑って、
―あれはかなり恐いですよね。私も30代のころまでは何回かやっていたんですが、しばらくご無沙汰してますねえ。
―これまで《お鉢めぐり》をして亡くなった方もいるんじゃないですか?
―いや、それがね、不思議といないらしいんですよ。あんなに危ない道なのにね。
―そうなんですか。……でも、すぐ近くに大冒険ができる自然がたくさんある生活っていうのも、いいですね。
―そうですね。それが魅力で、私もこの島に移り住んできたようなもんです。
聞けば、オーナーさんの出身地は、偶然にも僕と同じ埼玉県の大宮でした。大学4年生のときまで大宮に住んでいて、卒業後お父さんの仕事を継ぐために八丈島へ移り住んだとのこと。今でもお姉さん一家が大宮に住んでいるそうです。
僕も今大宮に住んでいることを伝えると、向こうも思いがけない偶然に喜び、会話に地元の話題も入って楽しいドライブとなりました。
話の内容は次第に、3月の大震災の話題になりました。
―埼玉は、3月の地震のときかなり揺れましたか?
―そうですね、かなり揺れました。僕は東京の職場にいたんですが、マンションの9階でかなりの揺れを感じましたねえ。こちらはやっぱり津波が来ましたか?
―いや、幸いあまり大きな津波は来なかったんですよ。ただ、海でダイビングをしてた人が、「ゴンっ」っていう大きな音を聞いたみたいです。そうして、本土のほうでかなり大きな地震があったっていう連絡が入ってきて、海辺にいた人たちもすぐに避難することになったんですね。
水は空気よりも音を伝えやすい媒体です。日本近海のプレートの動く音が、ここ八丈島の海底にも響き渡ったのでしょうか。
そういえば、八丈町役場近くの大賀郷護神山に、「鳥島罹災者招魂碑」という石碑が立っていたのを思い出しました。
明治35年8月、八丈島の属島である鳥島が噴火して、125人の島民が全滅するという惨事が起こり、それを悼んで建立された招魂碑とのことです。碑に書かれている文章ははっきりと読めなかったのですが、案内板によると、書かれてある文・書は非常に優れていると評価されていて、島における悲惨な災害を記録した金石文としての価値は高いとのことです。
災害の記憶を何とか後世に語り継いでいこうとした不特定の先人の思いが感じられ、深遠な気持ちになりました。
「動かざること山の如し」という言葉がありますが、山、海、大気など、あらゆる自然はゆっくりと、しかし確実に変化し続けています。その気の遠くなるような変化の時間の中では、一人の人間の時間など取るに足らないものであるといえます。そして、その大きな自然の変化は時として、人間にとって大きな脅威をもたらしもします。
災害の記憶を伝えようとするさまざまなものは、自然の驚異を後世に伝えるとともに、自分たちにも突如として起こりうる「死」を忘れさせないための装置のようなものであると、改めて感じました。
その後、車は無事ホテルに到着。夕食は既に済ませていたため、ホテル内の温泉で体を伸ばした後、すぐに眠ることにしました。
夕方頃から雲が出てきていたため満点の星空を仰ぐことはできませんでしたが、海からの穏やかな波の音を聞きながら、眠りにつきました。
(『八丈島への旅⑦ ~帰路~』へと続く)
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